メルログ: スポーツ
今日は全国的に暖かかったようですが、コチラも10℃くらいまで上がりましたか。
午前中はあいにくの雨でしたが、お陰で今まで残っていた雪がだいぶ融けました。
このまま春になってくれると嬉しいですね。
さて、今日も弓道についての続きです。
尚、私は高校時代だけのキャリアですが、一応、二段を取得しています。
と言っても、高校生は二段までしか取れなかったので、別に威張って言う程のモノではありません(笑)
因みに、私が使用していたのは竹製の弓でしたが、周り(特に女子)ではグラスファイバー製が多かったでしょうか。
又、私は矢も竹のモノを使用していましたが、周りではジュラルミン製を使っている者が多かったですね。
当然ながら個々で筋力に差がありますし、弓の強さも各々の体格や筋力に合ったモノでないと苦労します。
尚、使用する道具で個人購入だったのは矢だけで、弓も賭け(右手に付ける手袋)も着用する袴も部のモノでした。
って言うか、弓道具はどれも高いですからね。高校生にはそう簡単に買えません(笑)
さて、昨日もちょっと触れましたが、弓道の所作は基本的に八つの動作から成り立っています。
先ずは、両足を踏み開いて的に対峙する動作である「足踏み(あしぶみ)」。
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そして、弓を引く為の基本姿勢である「胴造り(どうづくり)」。コレは両足の内側を絞るようにして腰を地面に落とす感じで立つ姿勢です。
練習ではよくこの姿勢のまま後ろから押されたりしたモノでしたが、決してぐらつかないドッシリとした構えが求められます。
次は「弓構え(ゆがまえ)」。コレは矢を番える動作ですが、ココで弓を持つ左手の形をきちんと決める事が肝心です。それについては後述します。
そして、弓矢を持った両腕を上げる「打ち起こし(うちおこし)」。尚、この時、顔は的を向いています。
そこから両腕を開いて弓矢を引き絞る「引き分け(ひきわけ)」になるのですが、その動作に入る前に、打ち起した左手を的の方に送り伸ばし、弦を持っている(引っ掛けている)右手を左手と同じ高さまで下げる「大三(だいさん)」という動作があります。
そして、引き分けが完成し、弓を引ききった状態が「会(かい)」。基本的には的に狙いを定めている状態ですが、単に静止しているというワケではありません。
弓を押している左手(押し手)は常に的に向って力を込め続けていますし、弦を引いている右手も常に力を入れている感じです。
まぁ、実際にはそう力んでいるワケではありませんが、両腕の力と気力を充実させ続けている状態と言えるでしょうか。
痛みのサウンドクリップへプリンセス·ブライド·ストーリー
尚、弓を押している左手は決して弓を握り締めるのではなく、基本的には親指の付け根と小指の付け根だけが弓に当たっている状態です。
って言うか、握り締めてしまうと、矢を放った後に弓が左手の中でクルンと回りませんし、弦で左腕を打ちつけて非常に痛い思いをしてしまいます(笑)
で、コレは弓構えの時からそういう持ち方をしているワケですが、左手の親指は伸ばしたままの状態、人差し指は弓に当てずに軽く曲げて指差しをするような状態にします。
又、弦を引いている右手は手首を折らずに腕と一直線になるようにするワケですが、要は手首で弦を引くのではなく肘を後ろに回す事で引くというイメージですね。
それと、会の状況では、矢は頬に軽く触れているる状態で、その高さは口割りの位置に合わせます。
因みにココで矢を下に落としてしまうとその射は失格になりますが、矢の尻が弦に嵌ったままであれば口で矢を元に戻すことは許されています。
但し、コレ、見た目的にもあまり格好の良いモノではありません(笑)
で、気力が充実した時に、弦を離して矢を射るワケですが、コレを「離れ」と言います。
ただ、コレ、弦を離すと言っても、右手を開くのではなく、掛けに引っ掛けてある弦を指パッチンの要領で弾くような感じですね。
尚、この「離れ」も究極は「弦から意識的に手を離すのではなく自然と離れる」という事なのだそうです(笑)
とてもそこまでの境地に達する事は出来ませんが、ただ言わんとしている事は何となく判る気がします。
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尚、人によっては会から離れまでの時間が短い人がいます。コレは射形的には美しくなく、「早気(はやけ)」と言って指導者から嫌われる所作です。
但し、この「早気」は割りと的中率が高くなるのが不思議なトコロです(笑)
逆に、いつまでも弦を離せない人もいます。コレは「もたれ」と呼ばれていましたが、実は私は一時期この「もたれ」になってしまって、どうしても弦を離せない状況に陥ってしまった事がありました。
全く不思議なモノですが、自分で「離れろ!」と思っても右手が全く言う事を聞いてくれないのですね。
結局は矢を射る事が出来ずに終わってしまうのですが、コレに悩まされていた時は、ホント、大スランプ状態でした(笑)
但し、コレ、巻藁を相手の練習を続けている内にいつの間にか治ってしまったのですが、その後は嘘の様に的中率が上がって逆に絶好調になったのが不思議でした。
まぁ、会から離れの自分なりのタイミングとテンポが確立された為だと思いますが、いい具合に力の溜め方と抜き方が身に付いたのでしょう。
で、矢を放った後は数秒間その姿勢を保ったままで呼吸を整えるのですが、コレを「残心」と言います。
尚、コレは「残身」とも書きますが、"心身"のダブルミーニングなのでしょうね。
って言うか、「残」という部分に武道の本質を感じたりもします(笑)
というワケで、くどくどと書き連ねて参りましたが、弓道の所作はそれぞれが次の動作の為の所作になっています。
つまり、所作の一つ一つに意味と重要性があり、一つたりとも疎かには出来ません。
尚、弓道の試合は基本的には的中数で勝敗が争われますが、的中数の上位者の中で最も射形が綺麗だった者に対し、「射道優秀賞」という賞が贈られました。
コレはある意味で優勝などよりも名誉な賞であり、個人的にはこのタイトルが欲しくて堪りませんでした。まぁ取れませんでしたけど(笑)
結局、弓道とは美しさを追求する武道なのかなという気がしますね。
美しさが嵩じると同時に結果(的中)も向上するという、言わば形式と機能の一致を目指すモノなのかなと。
換言すれば、弓道における所作とは様式美を求められるモノであって、結果的に機能美に繋がるモノなのだとも言えるでしょうか。
そう考えると、この弓道という武道は、完成のないモノであると同時に底なし沼のような深さを持っているように思われますね。
つまり、とても高校の3年間だけで極められるようなモノではなかったのです(笑)
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